研究室の紹介
研究室の説明
白井信雄研究室では、「持続可能な地域づくり」からの社会転換を目指して、持続可能な地域づくりの理論と実践を学びます。研究室全体での研究活動を行うとともに、ゼミ生自身でリサーチクエスチョンを掘り下げ、アクションリサーチを展開していきます。社会調査(ドキュメント分析、アンケート調査、インタビュー調査)や社会実験(アクションの企画・実践・評価)を行い、社会に成果を還元し、貢献していくことを目指します。
【持続可能な地域づくりを担うために学んでもらうこと】
1) 持続可能な社会や持続可能な地域づくりが満たすべき規範の理解
2) SDGs未来都市、脱炭素先行地域等の形成プロセスの解明とさらなる課題の分析
3) 目指すべき持続可能な社会の理想に関する深い対話
4) 地域社会の現状を調査する方法(質的社会調査、量的社会調査)の基礎学習と実践
5) 理想と現実の乖離を埋めるアクションの立案と共創(ワークショップ、対話) 等
【持続可能な地域づくりで大事なテーマ】
1) 気候変動対策やSDGs等と地域活性化の両立
2) 環境と福祉(あらゆる人の豊かな暮らし)の統合
3) 地域の行政・企業・NPO・市民の共創・共働
4) エシカル消費やサステナブル観光等を通じた都市と農山村の連携
5) 持続可能な社会に向けた地域からの転換(トランジション) 等
【研究のフィールドとする地域】
キャンパスがある有明地区、江東区、江東五区、東京都、首都圏
首都圏と連携する農山村地域、全国の先進地域 等
教員の紹介
【担当している講義】
サステナビリティと創造的学び、環境政策論、環境福祉学、持続可能な地域づくり論
環境プロジェクト、サステナビリティプロジェクト、卒業研究
【一般的な略歴】
1961年生まれ。静岡県浜松市三ヶ日町育ち。1986年大阪大学大学院前期課程環境工学専攻修了。同大学にて博士(工学)。民間シンクタンク勤務、法政大学教授 (サステイナビリティ研究所)、山陽学園大学教授(地域マネジメント学部地域マネジメント学科)を経て、2022年4月より、武蔵野大学教授(工学部環境システム学科)。
シンクタンク時代の環境省、国土交通省、林野庁等の委託調査の経験を活かし、環境・サステナビリティ分野での実践を具体的に支援する研究・教育活動を展開中。
専門分野は、サステナビリティ学、環境政策論、持続可能な地域づくりの実践論。気候変動適応策、ゼロカーボン社会、気候変動政策を担う人と組織、気候変動教育、再生可能エネルギーと地域づくり、ローカルSDGs、社会転換(トランジション)等を研究テーマとしている。
主な著書に、『持続可能な社会のための環境論・環境政策論』(単著)、『再生可能エネルギーによる地域づくり~自立・共生社会への転換の道行き』(単著)、『環境コミュニティ大作戦 資源とエネルギーを地域でまかなう』(単著)、『図解 スマートシティ・環境未来都市 早わかり』(単著)、『持続可能な発展に向けた地域からのトランジション』(編著)、『SDGsを活かす地域づくり あるべき姿とコーディネイターの役割』(編著)、『気候変動に適応する社会』(編著)、『サステイナブル地域論―地域産業・社会のイノベーションをめざして』(共著)、他多数。
【大まかなライフヒストリー】
1970年代にふるさとである静岡県浜松市三ヶ日の浜名湖畔で育ち、湖水の汚れや公害問題の社会的注目を感じて育ちました。そのことから、大学では環境を学ぼうと志しました。在学した1980年代前半は公害対策が成果を収め、環境庁不要論が言われていた時代であり、環境政策の次の段階の模索期でした。
その後、東京のシンクタンクに就職しましたが、環境に関する仕事は多くなかったため、地域開発研究室を希望し、地域づくりに熱い思いをもつ行政職員に心を動かされながら、それをサポートする調査研究や計画素案づくりの仕事をしました。
当時も環境関連の仕事がないわけではありませんでした。ただし、当時の仕事のテーマは公害防止設備投資の見直しや生活騒音問題でしたから、まさに産業公害から都市生活型公害へとテーマが移行する過渡期だったといえます。本格的な環境政策の仕事は、地球規模の環境問題が政策の土俵にあがる1990年代を待つ必要がありました。
1990年代に入ると、地球規模の環境問題が台頭しました。その頃です。バブル崩壊後のリゾート開発ではない地域づくり、あるいは農産物の輸入自由化の流れの中での中山間地域の環境保全機能を活かす地域活性化等に関する「エコビレッジ研究会」があり、参加の機会を得ました。記述をさせていただいたエコビレッジ基本構想は、今は見るに耐えない内容であるが、環境と地域活性化を両立させる考え方に目を向ける機会となりました。
以来、私は「持続可能な地域づくり」や「地域の持続可能な発展からの社会転換」をライフワークのテーマとしてきました。一方、国の環境政策は、経済政策や地域活性化との統合を志向し、環境保全という理想論を唄う色男(金と力はなかりけり)から、環境立国を目指す環境実業家へと性格を変えてきました。
民間シンクタンクにいて、国の環境基本計画の策定やそこに位置づけられた政策の具現化に関する委託調査を担当する機会が多くあったため、国の環境政策の動きに順応して、学んできました。今日では国の動きを踏まえつつではありますが、弱者の視点や人の生き方(環境と福祉の統合)、慣性を代替する社会づくり(トランジション・マネジメント)を重視する立場で拡張された環境政策(=サステナビリティ政策)を地域の視点から研究しています。
地域においては、地域の持続可能な発展という目標を共有し、その理想を実現する政策を市民、企業、NPO、行政が一体となって担うように、つながる場をつくり、共創と共進を進めることが必要だと考えています。異なる立場にありながらも他主体とつながる主体が求められるとともに、つながる場をデザインし、運営する主体としてのコーディネイター(中間支援者)の仕事も重要です。政策とは仕組みをつくることだと考えれば、政策形成は行政だけの仕事ではありません。地域の異なる主体が政策形成の担い手となることが必要です。
私は2018年3月末日に東京から岡山に移住しましたが、その4ヶ月後に平成30年7月豪雨(西日本豪雨)があり、また2020年春からは新型コロナによるパンデミックとなりました。1995年代の阪神大震災、2011年代の東日本大震災と福島原子力発電所の事故等もあわせると、人類の生命を損ない、甚大な影響を与える大規模災害が多くなっています。大規模災害下では環境政策の優先順位が下がることになりがちですが、大規模災害と環境問題の根幹は同じであることを捉え、拡張された環境政策が粘り強く、進められることを願っていました。
そして、2022年4月より東京に戻りました。武蔵野大学工学部サステナビリティ学科(有明キャンパス)に身をおいて、さらに全国各地の取組みとつながりながら、社会転換に向けた新しい動きを作っていきたいと考えています。サステナビリティと名前がついた学科は日本初。サステナビリティ学とは、環境科学、環境工学、環境学をさらに発展させたもの。実践を通じて、サステナビリティ学のカタチをつくっていきます。